トリノ五輪代表選考騒動

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このページではマヲタの原点ともいうべきトリノ五輪代表選考騒動についてまとめます。(2009/04/17 著)

目次

[top]概要

トリノ五輪代表選考騒動とは、2005年12月16日から18日にかけて東京で開催されたグランプリファイナルにおいて浅田真央が優勝したことに端を発し、「浅田真央ちゃんをトリノ五輪に出せ!」と騒ぎ立てた一連の騒動の総称である。当時、浅田真央は15歳と3カ月であり、国際スケート連盟が定める年齢制限によりトリノ五輪への出場は不可能であった。折りしも2005年は日本でのフィギュアブーム黎明期であり、五輪シーズンでもあったことからメディアは挙ってこの問題を大きく取り上げ騒動に拍車を掛けたが、最終的にトリノ五輪女子シングル日本代表は、同年12月23日から25日にかけて行なわれた全日本選手権後の同月25日、村主章枝、荒川静香、安藤美姫の3選手が選出され終焉を迎えた。

[top]代表選考

[top]選考方法

トリノ五輪日本代表の選考方法は、2004年7月6日に草案が発表され2005年4月19日の理事会で正式に承認された。以下は2004年7月7日と2005年4月11日に読売新聞オンラインで配信された記事[1][2]からの引用である。

 2006年トリノ五輪に派遣するフィギュアスケート日本代表の選考基準の原案が6日、明らかになった。初の試みとして、2季にわたる主要大会の成績を点数化することを明文化し、原則として上位者を選出する。実力が安定した選手を送り込むのと、女子マラソンの高橋尚子落選などで見られたアテネ五輪選考時の騒動を繰り返さない狙いがあり、日本スケート連盟の幹部はすでに弁護士の意見を聞き、法的に問題がないことを確認している。
 原案によると、今季の世界選手権(来年3月)、今季・来季のグランプリ(GP)シリーズと、その総合上位6人が出場するGPファイナル、全日本選手権などが選考対象で、海外大会に比重が置かれている。
 一方で、日本女子は層が厚いため、代表選考が難航するのは必至で、いかにメダルに近い選手を選出できるかが連盟の課題となっていた。一発勝負では有力選手が落選という危険があり、過去の実績が加味されがちな採点競技の性格上、無名の選手が勝ち上がっても五輪では好成績は望めないためだ。
- 2004/7/7/03:15 読売新聞
 選考は、今季と来季の成績ポイントで査定。今季については、各選手の最も獲得点が高かった国際大会のポイントの70%が「持ち点」となり、世界選手権5位の村主章枝(ダイナシティ)は700点、同6位の安藤美姫(愛知・中京大中京高)は665点、同9位の荒川静香(プリンスホテル)は560点。四大陸選手権2位の恩田美栄(東海学園大)は564点となり、小差で荒川を上回った。
 この持ち点に、来季のGPシリーズとGPファイナルなどで得点の高い2大会と、最終選考会の全日本選手権の得点を加えた合計ポイントで査定する。ただし選手間の点差が合計点の10%以内となった場合は、「逆転させる場合がある」としている。また、GPファイナルで3位以内に入った選手は、全日本選手権を待たずに内定する可能性も示した。
- 2005/4/11/03:06 読売新聞

なお、2004年7月6日に草案が発表されてから2005年4月19日の理事会で正式に承認されるまで半年以上のタイムラグが存在した背景には、トリノ五輪の日本代表枠数は2005年3月の世界選手権の結果によって決まること、翌シーズンの国際大会への派遣は世界選手権の結果及びシーズン終了時の世界ランキングによって割り振られることなどから、トップ選手にとってシーズンの終わりである世界選手権後の承認になったと思われる。記事の内容を要約すると以下の通りとなる。

  1. 2004-2005シーズンと2005-2006シーズンの成績をポイント化しその合計ポイントで査定
  2. 2004-2005シーズンは最も多くポイントを獲得した試合の70%が持ち点
  3. 2005-2006シーズンはポイントを多く獲得した上位2試合100%と全日本選手権100%
  4. 選手間の合計ポイント差が±10%以内となった場合は順位に関わらず逆転させるケースがある
  5. 2005年のグランプリファイナルで3位以内に入った選手は、全日本選手権前に五輪代表に内定する可能性がある

このように一発選考ではなくポイント制での選考方法にした狙いは、記事中にあるように採点競技という性質上、実績が重視される傾向にあり安定的な成績を残す選手を選出したいという思惑があったといえる。また、このポイント化の手法は国際スケート連盟が発表する世界ランキング[3]のポイント計算方式に準拠したものでもあった。

[top]過去の選考方法

トリノ五輪以前の選考方法はどうであったのだろうか。1998年長野五輪の代表選考と2002年ソルトレイクシティ五輪の代表選考をおさらいしようと思う。

1998年長野五輪の日本代表枠は、男子シングル2枠、女子シングルとペア及びアイスダンスは1枠であった。このうち、男子シングルの本田武史のみそれまでの実績が考慮され1997年9月に早々と代表に内定した。残る代表枠は、同年12月の全日本選手権で優勝した選手を長野五輪代表に選出すると大会前に発表された。ただし、ペアのみ五輪開催国枠での参加となる見通しであったことやエントリーがわずか1組であったため、演技内容を考慮して派遣するかどうかを決定するとした。その結果、男子シングル田村岳斗、女子シングル荒川静香、ペアの荒井万里絵&天野真組、アイスダンスの河合彩&田中衆史組がそれぞれ優勝を飾り、長野五輪に出場することとなった。つまり長野五輪代表選考は内定を貰った本田武史を除き、一発選考であったといえる。

一方、2002年ソルトレイクシティ五輪の日本代表枠は、男子シングルと女子シングルは2枠、ペアとアイスダンスは参加枠なしであった。このうち男子シングルの本田武史と女子シングルの恩田美栄はともに2001年のグランプリファイナルへ進出したという実績が評価され、1997年12月上旬に代表内定した。残りの男子シングル及び女子シングルの1枠は全日本選手権優勝者を代表に選出すると発表された。その結果、男子シングルは竹内洋輔が、女子シングルは村主章枝が優勝を飾り代表に選出された。ソルトレイクシティ五輪は、2選手が内定、残りの2選手は一発選考というものであった。

[top]年齢制限

騒動の発端となったのは五輪出場の年齢制限であった。五輪出場の年齢制限に関してはオリンピック憲章第5章47[4]に「健康上の理由でIF(International Federations, 国際競技連盟)の競技ルールに定められている制限以外には、オリンピック競技大会に参加する競技者に年令制限はない。」と明記されている。これは、国際オリンピック委員会は年齢制限を課すことはしないが国際競技連盟が年齢制限を定めるのであればそちらを適用する、というものである。なお、ここで云う国際競技連盟とは、フィギュアスケートであれば国際スケート連盟(ISU)、体操競技であれば国際体操連盟(FIG)、サッカーであれば国際サッカー連盟(FIFA)を指す。

国際スケート連盟では、7月1日から翌年の6月30日までを1シーズンと定め、シーズン開始の7月1日までの満年齢によって出場可能な大会が決定される。現在のクラス分けは下記の通りであるが、全日本選手権などの国内大会では下記の国際スケート連盟の定める年齢制限は適用されないため注意を要する。

  1. シニアクラスの五輪・世界選手権・四大陸選手権・ヨーロッパ選手権は15歳以上
  2. 上記以外のシニアクラスの大会は14歳以上(五輪予選は除外)
  3. ジュニアクラスは13歳以上19歳未満(ペアとアイスダンスの男性のみ21歳未満)

2005-2006シーズン当時、1990年9月生まれの浅田真央の年齢は国際スケート連盟の定めるスケート年齢では14歳扱いであったため、1の「シニアクラスの五輪・世界選手権・四大陸選手権・ヨーロッパ選手権は15歳以上」に抵触し、トリノ五輪参加資格はなく、同様の理由で1990年9月生まれのキム・ヨナにもこの年齢制限は適用されたため、五輪参加資格はなかった[5]。このような年齢制限は他の競技にも見られ、同じく国際スケート連盟管轄下のスピードスケート及びショートトラックもフィギュアスケートと同じ15歳以上、国際体操連盟管轄下の体操男子及び体操女子、新体操は開催年の12月31日までに16歳以上、国際水泳連盟管轄下の飛び込み競技は15歳以上、などとなっている[6]

[top]競技会の種類と格式

フィギュアスケートの競技会は、複数の国と地域の選手が参加する国際大会と該当する国及び地域の選手のみが参加する国内大会の2つに大別することができる。前者は五輪や世界選手権などが、後者は全日本選手権などがそれに該当する。当然のことながら、国際スケート連盟が承認しない国際大会[7]や独自の採点方法を採用した競技会なども存在するがここでは割愛し、国際スケート連盟が定めたルール下で行なわれる国際大会について解説したいと思う。

国際スケート連盟が定めたルール下で行なわれる国際大会は、前述の五輪や世界選手権の他、ヨーロッパの国と地域の選手のみが参加するヨーロッパ選手権、非ヨーロッパの国と地域の選手のみが参加する四大陸選手権、世界各地を転戦するグランプリシリーズ(グランプリファイナルを含む)、ジュニアクラスの選手が参加する世界ジュニア選手権などがある。国際スケート連盟は、これら国際大会での格式と成績に応じ選手にポイントを与え[8]、世界ランキングの発表や国際大会参加枠の割り当て、国際大会での選手のグループ分けなどを決定している。国際大会の中で最も優勝者の獲得ポイントの高い大会は、五輪と世界選手権の1200ポイントである。次いでヨーロッパ選手権と四大陸選手権の840ポイント、3番目にグランプリファイナルの800ポイント、4番目に世界ジュニア選手権の715ポイント、5番目にNHK杯などのグランプリシリーズ6戦の400ポイントとなっている。つまり、国際スケート連盟では上記の順に国際大会の格式を位置づけており、仮に国際スケート連盟が3大大会を定義するならば五輪、世界選手権、ヨーロッパ選手権または四大陸選手権となるであろう。

一方、選手側から見た位置づけはどうであろうか。多くの選手は仮に絶望的な実力差があったとしても4年に1度の五輪で勝つことを最大の目標とし、また毎年3月に開催される世界選手権をシーズン最大の目標としていることに異論はないであろう。そしてこの2つの大会に参加するための資格を得る国内競技会で勝ち上がることをもう1つの目標としており、シーズン前半に行なわれるグランプリシリーズ(グランプリファイナルを含む)を調整戦と位置づける選手は非常に多い。仮に日本選手にとっての3大大会を定義するならば、五輪、世界選手権、全日本選手権であり、アメリカの選手にとっての3大大会は五輪、世界選手権、全米選手権となるのではないだろうか。ヨーロッパの選手は、ヨーロッパ選手権が五輪や世界選手権の代表選考となるケースも多く、さらに歴史的にも世界最古の競技会であるヨーロッパ選手権への意識は非常に強いものがある。このためヨーロッパ選手にとっての3大大会は、五輪、世界選手権、ヨーロッパ選手権といえるだろう。

[top]シーズン開幕

[top]日本人選手の躍進

2002年のソルトレイクシティ五輪後、日本選手はかつてない躍進を遂げる。2003年のグランプリファイナルを村主章枝が制し、2004年の世界選手権では荒川静香が日本女子として3人目の世界女王となった。ジュニアクラスの世界ジュニア選手権でも男子は2002年高橋大輔、2005年織田信成が、女子では2003年太田由希奈、2004年安藤美姫、2005年浅田真央の3選手が3シーズン連続で制すなどして、トリノ五輪への関係者の期待は徐々に高まっていった。2005-2006シーズン開幕時の女子シングル世界ランキングでは、1位に荒川静香、2位安藤美姫、3位村主章枝、5位恩田美栄、12位浅田真央、15位中野友加里となるなど、女子シングルでは日本選手が上位を独占していた[9]。しかし、このような日本選手の躍進が続く一方、メディアで大きく取り上げられていた安藤美姫への関心は高かったものの、人々のフィギュアスケートに対する関心はまだ低かった。このことがのちの騒動に拍車を掛ける一因となる。以下は、トリノ五輪シーズン直前の各選手の選考ポイント獲得一覧である。

選考ポイント獲得表
順位選手名持ち点
1村主章枝700
2安藤美姫665
3恩田美栄564
4荒川静香560
5中野友加里343
浅田真央501

表中の持ち点とは選考方法で述べたように、2004-2005シーズンに各選手が国際大会で獲得した世界ランキングポイント最上位大会の70%である。具体的には、村主章枝は2004-2005シーズンの国際大会でスケートカナダ、エリック・ボンパール杯、四大陸選手権、世界選手権の4大会へ出場した。スケートカナダとエリック・ボンパール杯ではともに4位となり325ポイントづつ獲得、四大陸選手権では優勝し840ポイント獲得、世界選手権では5位となり1000ポイントを獲得した。この中で最も獲得ポイントの大きいのは世界選手権の1000ポイントである。よってこの70%の700ポイントが村主章枝の持ち点となる。以下同様に、安藤美姫は世界選手権6位となり950ポイントを獲得、その70%の665ポイントが持ち点、恩田美栄は四大陸選手権で2位となり805ポイントを獲得、その70%の564ポイントが持ち点、荒川静香は世界選手権で9位となり800ポイントを獲得、その70%の560ポイントが持ち点、中野友加里は四大陸選手権で11位となり490ポイントを獲得、その70%の343ポイントが持ち点である。選考対象外の浅田真央は世界ジュニア選手権で優勝し715ポイントを獲得。仮に同様の条件で持ち点を計算するとその70%の501ポイントが持ち点となる。なお、国際スケート連盟の世界ランキングポイントは2007-2008シーズンから計算方法が変わり、2005-2006シーズン当時とポイント計算方法は違うため注意を要する。

[top]グランプリシリーズ

2005年10月、トリノ五輪シーズンのグランプリシリーズ第1戦スケートアメリカが開幕した。代表候補選手の成績は、恩田美栄が第1戦スケートアメリカと第5戦ロシア杯でともに3位、中野友加里は第2戦スケートカナダ3位と第6戦NHK杯優勝、村主章枝は第2戦スケートカナダ8位と第6戦NHK杯2位、浅田真央は第3戦中国杯2位と第4戦エリック・ボンパール杯優勝、荒川静香は第3戦中国杯と第4戦エリック・ボンパール杯でともに3位、安藤美姫は第5戦ロシア杯2位と第6戦NHK杯4位という結果となり、この結果浅田真央、中野友加里、安藤美姫の3選手が東京で行なわれるグランプリファイナルへ進出することとなった。以下は、グランプリファイナル直前の各選手の選考ポイント獲得一覧である。なお、表中のSAはスケートアメリカ(Skate America)、SCはスケートカナダ(Skate Canada)、CoCは中国杯(Cup of China)、TEBはエリック・ボンパール杯(Tropheée Eric Bompard)、CoRはロシア杯(Cup of Russia)、NHKはNHK杯(NHK Trophy)、カッコ内は当該大会での順位を表す。

グランプリシリーズ6戦終了時の選考ポイント獲得表
順位選手名持ち点SASCCoCTEBCoRNHK合 計
1安藤美姫665550 (2)450 (4)1665
2恩田美栄564500 (3)500 (3)1564
3荒川静香560500 (3)500 (3)1560
4村主章枝700300 (8)550 (2)1550
5中野友加里343500 (3)600 (1)1443
浅田真央501550 (2)600 (1)1651

[top]グランプリファイナル

2005年12月16日、東京代々木第一体育館でグランプリファイナルが開幕した。女子シングルの出場者は前述の浅田真央、中野友加里、安藤美姫の他、2005年世界選手権優勝のロシアのイリーナ・スルツカヤ、同じくロシアのエレーナ・ソコロワ、アメリカのアリッサ・シズニーの全6選手である。

ショートプログラムを終えトップに立ったのは、ほぼノーミスの演技をした浅田真央であった。イリーナ・スルツカヤはジャンプのミスもあり2位スタートとなった。以下、3位安藤美姫、4位中野友加里、5位エレーナ・ソコロワ、6位アリッサ・シズニーと続いた。翌日のフリースケーティングでは、ショートプログラム1位の浅田真央が後半に連続ジャンプを3つ跳ぶ構成に変更し、ほぼノーミスの演技を披露して初優勝を飾った。総合2位にはイリーナ・スルツカヤ。ショートプログラム3位だった安藤美姫は3度転倒するなどして総合4位に順位を落とし、代わって中野友加里が総合3位に食い込んだ。以下、総合5位にエレーナ・ソコロワ、総合6位にアリッサ・シズニーと続き大会は閉幕した。以下は、グランプリファイナル直後の各選手の選考ポイント獲得一覧である。表中のGPFはグランプリファイナル(Grand Prix Final)を指す。また安藤美姫のNHK杯450ポイント、中野友加里のスケートカナダ500ポイント、浅田真央の中国杯550ポイントは、選考基準の「ポイントを多く獲得した上位2試合」に該当しないため除外となりカウントされない。

グランプリファイナル終了時の選考ポイント獲得表
順位選手名持ち点SASCCoCTEBCoRNHKGPF合 計
1安藤美姫665550 (2)450 (4)650 (4)1865
2中野友加里343500 (3)600 (1)700 (3)1643
3恩田美栄564500 (3)500 (3)1564
4荒川静香560500 (3)500 (3)1560
5村主章枝700300 (8)550 (2)1550
浅田真央501550 (2)600 (1)800 (1)1901

[top]騒動勃発

[top]煽ったテレビ朝日

グランプリファイナルは、それまでグランプリシリーズの各大会を放映していたNHKに代わりテレビ朝日が放映権を取得した。テレビ朝日では、メインキャスターに松岡修造、メイン解説に伊藤みどりと佐野稔を置きグランプリファイナルを「世界一決定戦」と位置づけ、当時としては異例のゴールデンタイムでの放送を行なった。放送中、「世界一決定戦」を幾度となくアピールするとともに松岡修造は浅田真央トリノ五輪特例出場を呼びかけた。トリノ五輪直前という注目と日本人選手の優勝という最高の結果も相まって、ショートプログラム20.8%(16日、関東地区)、フリースケーティング26.0%(17日、関東地区)、エキシビション22.2%(18日、関東地区)と、高視聴率をマークした[10]。大会後には系列の朝日新聞12月20日付朝刊社説で「浅田真央さんトリノで見たい」[11]を掲載、天声人語やスポーツ欄でも年齢制限問題に疑問を呈し、特例適用を推進する主張を行なった。

以前からフィギュアスケートをみつめてきた一部のファンを除き、グランプリファイナルが開催された当時、多くの視聴者はグランプリファイナルとはどういった大会なのか、トリノ五輪の代表選考方法はどうなっているのか、年齢制限とはなにか、などの知識を全く持ち合わせていなかった。このような状況下でのテレビ朝日による「グランプリファイナル=世界一決定戦」との位置づけ、メインキャスター松岡修造の特例出場嘆願発言、新聞機関紙等での主張が結果的にトリノ五輪代表選考騒動を誘発したことは否めない。この放送直後からニワカフィギュアスケートファンが急増することになる。

[top]過熱するメディア報道

グランプリファイナル開催中から、各メディアはニューヒロイン浅田真央の登場と年齢制限問題の報道を繰り返した。一部には特例が認められるかのような憶測報道[12]を行なうところも見られたが、グランプリファイナル開催で来日していた国際スケート連盟会長のオッタビオ・チンクアンタは特例適用を改めて否定した。しかし、当時人気絶頂であった小泉純一郎首相は、グランプリファイナル直後に首相官邸での記者の質問に対して「なんで出られないのか不思議」と発言したこともありますますこの問題は注目を集め、一部のファンは日本スケート連盟に嘆願書を出すほどに過熱していった。その一方で週刊誌やインターネット上では、一部の者及び企業へのバッシングが始まった。時を同じくして元フィギュアスケート選手の渡部絵美がメディア上で代表選考批判を展開したことから、バッシングはさらに激しさを増していくこととなる。当時多く見られた主な主張は次のようなものである。

  1. スポンサーに絡む利権問題
  2. 安藤美姫を中心としたシンボルアスリート選手批判
  3. フィギュア強化部長城田憲子を中心とした日本スケート連盟批判
  4. 城田憲子と山田満知子コーチとの対立

当時インターネット上では上記ような論調のまとめサイトなどが作られた一方で、冷静に経緯を説明するサイトなども見られた。このような賛否両論が渦巻く中、各選手は最終選考会となる全日本選手権へ向かうこととなった。

[top]全日本選手権

2005年12月23日、東京代々木第一体育館でトリノ五輪最終選考を兼ねた全日本選手権が開幕した。注目を集めた女子シングルは24日にシングルショートプログラムが行なわれ、トップに立ったのは荒川静香であった。以下2位村主章枝、3位浅田真央、4位恩田美栄、5位中野友加里、6位安藤美姫と続いた。翌25日のフリースケーティングでは、ショートプログラム2位の村主章枝がほぼノーミスの演技を披露して3年ぶり5度目の優勝を飾った。総合2位にはショートプログラム2位でフリースケーティングでトリプルアクセルを2度跳んだ浅田真央が続き、ショートプログラム1位だった荒川静香はフリースケーティングの後半にミスを連発し総合3位に順位を落とした。以下4位恩田美栄、5位中野友加里、6位安藤美姫と続いた。この大会は前年に続きフジテレビが放映し、ショートプログラム27.2%(24日、関東地区)、フリースケーティング33.7%(25日、関東地区)と、グランプリファイナルを上回る高視聴率をマークした[10]。以下は、選考ポイント獲得最終結果である。

女子シングル選考ポイント獲得表最終結果
順位選手名持ち点SASCCoCTEBCoRNHKGPF全日本合 計
1安藤美姫665550 (2)450 (4)650 (4)350 (6)2215
2村主章枝700300 (8)550 (2)600 (1)2150
3荒川静香560500 (3)500 (3)500 (3)2060
4中野友加里343500 (3)600 (1)700 (3)400 (5)2043
5恩田美栄564500 (3)500 (3)450 (4)2014
浅田真央501550 (2)600 (1)800 (1)550 (2)2451

[top]代表発表と結果

全種目終了後の12月25日、日本スケート連盟は理事会を開きトリノ五輪、世界選手権、四大陸選手権の代表を発表した。注目された女子シングルのトリノ五輪代表は安藤美姫、村主章枝、荒川静香の3選手が選出された。結果的に代表候補選手の選考ポイント上位3選手を選出したものであった。以下はトリノ五輪、世界選手権、四大陸選手権、世界ジュニア選手権の日本代表選手の一覧である。なお、世界ジュニア選手権の代表発表は12月11日に行なわれた。このうち男子シングルの本田武史は四大陸選手権の出場を辞退し補欠の南里康晴が繰り上がり出場、女子シングルの恩田美栄は四大陸選手権の出場を辞退し補欠の北村明子が繰り上がり出場、同じく女子シングルの荒川静香は世界選手権の出場を辞退し、補欠の恩田美栄が繰り上がり出場となった。

五輪・世界選手権・四大陸選手権・世界ジュニア選手権の代表一覧
種目名トリノ五輪世界選手権四大陸選手権世界ジュニア
男子シングル代表高橋大輔織田信成織田信成小塚崇彦
本田武史柴田嶺
中庭健介無良崇人
補欠織田信成高橋大輔南里康晴
小塚崇彦
神﨑範之
女子シングル代表村主章枝村主章枝恩田美栄浅田真央
荒川静香荒川静香中野友加里沢田亜紀
安藤美姫中野友加里浅田舞武田奈也
補欠恩田美栄安藤美姫北村明子
中野友加里恩田美栄鈴木明子
浅田舞
アイスダンス代表渡辺心
木戸章之
渡辺心
木戸章之
都築奈加子
宮本賢二
補欠都築奈加子
宮本賢二
都築奈加子
宮本賢二

2006年2月、トリノ五輪が開幕した。注目の女子シングルでは荒川静香がフィギュアスケート競技で日本人選手として初の金メダルを獲得した。その他、同年1月の四大陸選手権では織田信成が優勝、中野友加里が2位となり、同年3月の世界ジュニア選手権では小塚崇彦が優勝、浅田真央が2位、世界選手権では村主章枝が2位となり、2005-2006シーズンを終えた。以下はトリノ五輪、世界選手権、四大陸選手権、世界ジュニア選手権の日本代表選手の成績一覧である。

五輪・世界選手権・四大陸選手権・世界ジュニア選手権の成績一覧
種目名五輪世界選手権四大陸選手権世界ジュニア
順位選手名順位選手名順位選手名順位選手名
男子シングル8高橋大輔4織田信成1織田信成1小塚崇彦
6中庭健介5無良崇人
7南里康晴12柴田嶺
女子シングル1荒川静香2村主章枝2中野友加里2浅田真央
4村主章枝5中野友加里6浅田舞4武田奈也
15安藤美姫11恩田美栄9北村明子5澤田亜紀
アイスダンス15渡辺心
木戸章之
17渡辺心
木戸章之
8都築奈加子
宮本賢二

以上、選考方法の発表から2005-2006シーズンの終わりまでのかなり長い前置きになってしまったが、以下でこの騒動を総括しようと思う。

[top]騒動の総括

[top]原因

この騒動が勃発した原因はなんであろうか。マヲタ的発想をすれば「特例を認めない国際スケート連盟が悪い」、「ロッテと電通が悪い」、「城田憲子が悪い」などといった声が未だに聞こえてくるかもしれない。しかし、最大の原因はメディア、個人、日本スケート連盟の3者であると私は確信している。よってこの3者ついて以下で苦言を呈そうと思う。

[top]メディア

グランプリファイナルが世界一決定戦であるかのような報道を繰り返し、特例の適用を扇動したメディアこそ最大の元凶であろう。いうなれば騒動のきっかけは、メディアが火をつけたといえる。

グランプリファイナルより1カ月前の2005年11月、国際スケート連盟会長のオッタビオ・チンクアンタは浅田真央の特例適用について否定した[13]。このような特例を適用するには国際スケート連盟の総会を開き、加盟国・地域の3分の2以上の賛成を経て初めて承認されるものである。ただし、国際スケート連盟の総会は原則2年に1度初夏に開催されるものであり、常識的に考えてオリンピックのわずか3カ月前に緊急召集を行い、総会を開くなどということはありえないことだ。また、仮にこのような特例が認めればそれが前例となり、ルールが事実上の骨抜き状態となるのは誰の目にも明らかであろう。グランプリファイナル開催中の12月17日、オッタビオ・チンクアンタは改めて特例適用を否定したが、その後も扇動し続けたのがメディアであった。その先陣を切ったのは朝日新聞とテレビ朝日である。

グランプリファイナル閉幕後の12月20日、朝日新聞は朝刊社説で「浅田真央さん トリノで見たい」[11]という主張を行なった。オッタビオ・チンクアンタが特例適用を改めて否定した3日後である。社説では、国際スケート連盟の設けた年齢制限に一定の理解を示しつつ、「フィギュアの年齢制限はわかりにくい」、「どこまで『医学的な見地』を重視しているのか疑わしい」などと否定するお決まりの論理展開であった。さらに、「15歳の制限を適用しているのは五輪と世界選手権だけ」という誤認、「特例として認めるよう世界に働きかけ」の提案、浅田真央を外した争いは「真の世界一とはいえなくなる」といったグランプリファイナル最大評価と五輪否定まで見られた。朝日新聞は同じ社説で常に護憲を掲げているが、国際スケート連盟の規則は否定し読者を煽ったのである。朝日の論説委員はこの矛盾に気づいているのだろうか。一方のテレビ朝日は、グランプリファイナルを世界一決定戦と位置づけ視聴者に大きな誤解を与え、放送中にはメインキャスター松岡修造による年齢制限撤廃と特例適用の呼びかけを行なった。前述のようにこの大会のフリースケーティングの視聴率は26.0%にも上り、単純計算で約3千万人が視聴したことになる。この影響は計り知れない。

朝日新聞とテレビ朝日が火をつけ、延焼を起こしたのがゴシップ好きの週刊誌やスポーツ紙であった。騒動以前、週刊誌ではフィギュアスケートを競技として捉えるのではなく、オッサン向けのエロ目線でフィギュアスケートを取り上げる傾向にあり、特に重宝されていたのは安藤美姫であった。しかし、この流れが一変したのは全日本選手権後である。一連のバッシングが吹き荒れ、拍車を掛けたのが渡部絵美の降臨であった。渡部絵美は2005年12月から2月にかけ週刊文春及び週刊現代[14]、その他スポーツ紙上で独自の見解を述べ、代表選考批判と日本スケート連盟批判、代表選手批判を繰り返し、またそれにまつわるスポンサーの暗躍を主張して著書[15]も出版した。なお、渡部絵美の主張した内容については個人のところで総括しようと思う。

以上のようにメディアから発生した火はフィギュアスケートに関する予備知識のない者に誤解を植えつけ、大量のトンデモ説ニワカを発生させるきっかけとなった。この騒動のメディア側最大の黒幕はテレビ朝日である。もしテレビ朝日がグランプリファイナルを世界一決定戦ではないと正しく報道していたら、もしテレビ朝日がオッタビオ・チンクアンタの発言を正しく理解していたら、少なくともあれほどの混乱には至らなかったであろう。同じことは社説で煽った朝日新聞にもいえる。余談であるがテレビ朝日では、2006-2007シーズンからNHK杯を除くグランプリシリーズの放映権を取得し、グランプリファイナルを含めた6戦を放映している。グランプリシリーズのサブタイトルは「美の世界一決定戦」、「真の世界一決定戦」、「世界三大大会の1つ」などと未だに視聴者を欺き続けているのだ。フィギュアブームになって久しい現在、2005年当時ニワカであった視聴者も今では気づき始めている。いい加減にしたらどうか。

[top]個人

扇動したメディアの報道を真に受けたのがフィギュアスケートに関する予備知識のなかった者たちである。ただし、予備知識のない者たちの中にも冷静な判断を下す者も少なくなかったが、実際には冷静な判断の出来ない者たちが大半を占めトンデモ説を主張し始める者も出た。なお、ここで言う個人とは主に冷静な判断を下せずさらにトンデモ説を発信し続けた者たちを指す。メディアが火をつけ、この者たちが火に油を注いだといえるだろう。

古くからフィギュアスケートを見てきた者にとって、浅田真央がトリノ五輪出場資格を有していないということはシーズン前から周知の事実であった。同じようなケースは、ソルトレイクシティ五輪シーズンにジュニアの国際大会で連勝を重ねていた当時14歳の安藤美姫にもいえることである。

前述の競技会の種類と格式にあるようにグランプリファイナルは五輪や世界選手権より明らかに格が落ちる大会である。今はフィギュアスケートブームとなり「世界選手権がシーズンの総決算であり、五輪が4年に1度の総決算である」という認識が広まっているものの、2005年当時はそのような知識を持ち合わせた者は少なかった。もともとグランプリファイナルとはグランプリシリーズの中の1つであり、グランプリシリーズ6戦での成績上位選手のみが参加する限られた大会である。また、グランプリシリーズを調整戦と捉える選手は少なくなく、各試合の参加も前シーズンの成績上位者へ優先的に出場枠を割り振るため、前シーズンの成績下位選手に出場枠が与えられる可能性は低い。五輪や世界選手権と大きく違うのはここである。2008年NHK杯で2位となった鈴木明子は2008-2009シーズンのグランプリシリーズには1戦しか出られなかったことからも明らかであろう。このような認識に欠けた者たちがトリノ五輪2カ月前になり「真央ちゃんは世界一になったんだ、なのに五輪に出られないのはおかしい!」と急に騒ぎ出したのである。騒ぎ出した者たちの中には、陰謀説や八百長説などのトンデモ説を唱えるものが少なくなかった。「浅田真央をトリノに出してあげたいひとたちのまとめサイト[16]」や「フトコロえぐらせてもらいます[17]」などはその筆頭であり、渡部絵美も同様の主張を展開した。

「浅田真央をトリノに出してあげたいひとたちのまとめサイト」の主張を一部抜粋してみよう。

  1. タラ・リピンスキーは特例で長野オリンピック出場した
  2. 城田憲子は村主章枝、荒川静香、安藤美姫を指導したので恩田美栄、中野友加里、浅田真央を指導する山田満知子コーチとは犬猿の仲だ
  3. 「GPファイルで3位以内になったら無条件で代表内定」と「代表選考・年間ポイントで上位の人から残りの代表内定を与える」をいうものを変更した

いちいち反論するのもバカバカしいほどのトンデモぶりであるが、当時はこのようなトンデモ説を本気で信じていた人が多かったという良い例である。このトンデモ説を検証すると、

  1. 答え:タラ・リピンスキーは1982年6月10日生まれであり、長野五輪前年の1997年7月1日時点で15歳であるため出場資格を有していた。「特例で長野オリンピック出場した」という主張はガセ。
  2. 答え:城田憲子はコーチではなく審判員であっていままで誰も指導したことはなく、さらに2005年当時、恩田美栄はカナダ人コーチ、中野友加里は佐藤コーチに師事しており、山田コーチに師事していたわけではない。4年前のソルトレイクシティ五輪では恩田美栄に内定を出し、残り1枠を村主章枝と荒川静香に競わせたことすらある。また城田憲子と山田満知子は伊藤みどりの時代からの戦友同士であり、(個人的感情は本人以外知るすべはないが)対立するいわれはない。
  3. 答え:選考方法は当初から「2004-2005シーズンと2005-2006シーズンの成績をポイント化しその合計ポイントで査定」、「グランプリファイナルで3位以内に入った選手は、全日本選手権前に五輪代表に内定する可能性がある」というもので変えた文言は一切ない。

このように否定ばかりが並ぶ。「浅田真央をトリノに出してあげたいひとたちのまとめサイト」には他にも多くの子供騙しなトンデモ説を展開しているが、ここでは割愛する。次に「フトコロえぐらせてもらいます」と渡部絵美の主張を抜粋してみよう。

  1. スポンサーに絡む利権問題
  2. 安藤美姫を中心としたシンボルアスリート選手批判
  3. フィギュア強化部長城田憲子を中心とした日本スケート連盟批判

大きく分けると以上の3つである。この中で批判しているシンボルアスリート制度とは、日本オリンピック委員会が2005年度から始めた制度で前身は「がんばれ!ニッポン!」キャンペーンである。「がんばれ!ニッポン!」キャンペーンとは、2004年度まで実施されたもので日本オリンピック委員会が傘下選手の肖像権を一括管理し、その収入を各団体へ配分する制度であった。この制度は1990年代以前のアマチュア選手全盛期には問題なく運営されていたが、1992年バルセロナ五輪からの世界的なプロ解禁もあり、1990年代後半から見直されるようになった。きっかけは有森裕子のプロ宣言と肖像権主張の高まりである。アトランタ五輪後の1996年12月、有森裕子は自己の肖像権を主張してプロ宣言を行ない日本オリンピック委員会及び日本陸上競技連盟と対立した。しかし、このような個人の肖像権を主張する機運は止められず、清水宏保や高橋尚子らのようにフルタイムプロアスリートとして活動を始める選手が次々と現れることとなった。このため制度の見直しをせざるを得なくなった日本オリンピック委員会が検討を始めたのはシンボルアスリート制度であった。

2005年度から開始されたシンボルアスリート制度は、対象を強化指定選手に限り肖像権を日本オリンピック委員会に委託するというものである。いうなれば日本オリンピック委員会が選手個人のマネジメントを行なうということだ。対象となった選手にはランクに応じ年間で最大2000万円の協力金を支払い、対象選手の所属する競技団体に対しては日本オリンピック委員会から分配される強化費を増額するというものである。この制度は、バブル崩壊後の長引く不況によって資金不足にあえいでいた各競技団体にとって強化費の増額は大きな収入源となり、また強化指定外の選手への強化にもつながる。一方で、対象選手にとってはギャラを日本オリンピック委員会にピンハネされ、日本オリンピック委員会オフィシャルパートナー以外の企業との関わりが制限されるという問題をはらむ。さらにこの制度を拒否した選手の所属する競技団体に対しては懲罰とも呼べる強化費減額という裏技まで用意していた。このため当初からこのシンボルアスリート制度には「日本オリンピック委員会は選手のギャラをピンハネし、選手を人質にしている」との批判が付きまとい、辞退する選手が相次いだ。

以上のようにシンボルアスリート制度に対して否定的な論調がある中、村主章枝、荒川静香、安藤美姫の3選手は選考対象の1つ2004-2005シーズンを終えた2005年4月にシンボルアスリートとなった。2005-2006シーズンに入ると3選手はロッテのCMで競演し、この他荒川静香は日清食品、トーヨーライス、コカ・コーラ、安藤美姫はトヨタ、パナソニックのCMにそれぞれ出演した。3選手が出演したCMはシンボルアスリートとしての出演であり、日本オリンピック委員会とオフィシャルパートナーとの契約を履行したに過ぎなかった。しかし、そのことがやがて「シンボルアスリート選手だからトリノ五輪代表にしなければならない」、「電通を仲介としたスポンサーの影響でこの3選手が選ばれる」などといった陰謀論へと変化していった。本人たちはギャラをピンハネされ、契約を制限された挙句にこのようなあらぬ中傷を受けたのである。「フトコロえぐらせてもらいます」は非常によく出来ており読み物としては確かに面白い。しかし、批判の対象が選手であり問題を履き違えているのである。

一方の渡部絵美の主張はどちらかというと女の嫉妬にも似た愚痴に聞こえ、内容も「浅田真央をトリノに出してあげたいひとたちのまとめサイト」レベルであり検証する価値は低い。当初は3選手を否定[14]していたものの、荒川静香が金メダルを獲得したあとは荒川静香賛美に切り替え、城田憲子の失脚が始まると矛先を城田憲子批判へと展開[18]するなど痛い点が非常に目立つのだ。過去にはサッチー・ミッチー騒動が勃発して野村沙知代へのバッシングが高まると浅香光代側に参戦、堤義明が失脚した直後には週刊誌上で堤義明批判を展開するなど前科持ちである。この騒動に関しては、たまたまフィギュアブームが起こりゴシップネタを探していた週刊誌と生き残りに必死な渡部絵美の思惑が一致したものだといえる。このときに気の利いたコメントでも出しておけば、今頃、佐野稔のようなポジションになったかもしれない。腐っても渡部絵美は「絵美ブーム」を巻き起こしフィギュアスケートを全国区にした功績と日本女子初の世界選手権メダリストという実績を兼ね備えていたのだから。しかし、いいように使われ今では既に忘れ去られた存在になり、哀れですらある。自業自得というべきか。

[top]スケート連盟

メディアが火をつけ、トンデモ説を発信し続けた者が油を注いだのはこれまで述べた通りである。しかし、日本スケート連盟対応の不味さが消火に手間取ったということも指摘しておかなければならない。ただし、トリノ五輪後に発覚した不正経理事件は割愛し、トリノ五輪シーズンまでにおける言動や行動に留めようと思う。

選考に関する批判が出たのはトンデモ説の展開も原因のひとつであったが、過去に日本スケート連盟が行なってきた数々の不明瞭な選考にもその要因がある。1996-1997シーズンの全日本選手権では村主章枝が優勝し、荒川静香が2位となった。1997年の世界選手権女子シングルの枠は2枠であったため、順当なら村主章枝と荒川静香が選出されるはずであったが、日本スケート連盟は2位となった荒川静香を選出することなく、優勝した村主章枝と全日本選手権を棄権した横谷花絵を選出し荒川静香を補欠とした。その結果、1997年世界選手権で村主章枝は16位となったものの横谷花絵は23位に沈み、1998年長野五輪の日本女子シングル枠は「1」となったのである。1998-1999シーズンの全日本選手権では荒川静香が優勝し、2位に村主章枝、3位に金沢由香という結果であった。大会前の発表どおりに1999年の世界選手権出場は優勝した荒川静香に決まるかと思われたが、1999年に創設された四大陸選手権での結果によって決定するという方針転換が急遽なされた。その結果、四大陸選手権で村主章枝が日本人選手最上位となり世界選手権代表に選出された。翌1999-2000シーズンには椎名千里が全日本選手権で優勝したものの、再び四大陸選手権の結果によって決定するという方針転換がなされ、その四大陸選手権で村主章枝が日本人最上位となったが、「フリースケーティングでいい演技をした」という理由で恩田美栄を選出したのであった。日本人選手が国際大会で評価され始めた2001-2002シーズン以降、このような方針転換は影を潜めたものの、多くのフィギュアファンに不信感を与え続けたのは事実である。そして曖昧選考払拭のために導入したポイント制によるトリノ五輪選考で、騒動が勃発したのであった。

騒動が勃発した頃、城田憲子は日本スケート連盟フィギュア強化部長として何度かテレビ出演を行なった。その際に「特例適用は無理である」との明確な発言をせず曖昧な発言に終始したのであった。城田憲子だけではない。日本スケート連盟も公式見解をメディアに向けて発表すればこのような騒動もやがて沈下の方向へ向かったであろう。しかし、そのようなことは行なわず、ただひたすら時間が過ぎるのを待つだけであった。普段は選手をまるで駒のように使い、選手が批判の矢面に立たされてもなんら庇うことはなかったのである。

トリノ五輪直後の2006年3月、不正経理事件が発覚しスケート連盟会長の久永勝一郎や城田憲子ら理事は引責辞任となり、同年6月、城田憲子に代わってフィギュア強化部長には伊東秀仁が就任した。時を同じくしてフィギュアブームが到来し、グランプリシリーズや全日本、世界選手権は軒並み高視聴率をマークし続けている。その一方で年末にはグランプリシリーズとグランプリファイナル、全日本という過密日程をこなしつつ、年明けにはテレビ向けのアイスショーなどにも参加しなければならない選手の気持ちをどう思っているのか。2009年1月、引責辞任をした城田憲子が役職へ復帰したというニュースが流れた。伊東秀仁はメディアに対し「選手からの要望があった」の一点張りである。選手が要望を出せばその期待に答えるとは到底思えない。これはなにか城田憲子がやらかしたときのための責任回避ではないのか。このような体質を一刻も早く改善すべきであろう。選手はスケート連盟の駒ではないのである。

[top]あとがき

トリノ五輪代表選考での混乱の反省を生かしバンクーバー五輪の代表選考は、全日本選手権での一発勝負で行なうという。一発勝負には選考方法が分かり易いというメリットがある反面、フィギュアスケートという採点競技である以上、一発勝負では危険も伴う。もしその時点で最も有力とされている選手がミスをしたら、もし国際大会で全く評価されない選手がその日たまたま抜群の演技を披露してしまったら、混乱は必至であろう。このような危険がある以上、私はポイント制に戻すべきだと思う。(2009/04/17 著)

追記

2009年6月30日、日本スケート連盟はバンクーバー五輪の代表選考方法を発表した。これによると2006-2007シーズン以降行なわれてきた「一発選考」を廃止するとした[19]

[top]脚注

  1. ^ 読売新聞オンライン2004年7月7日版
  2. ^ 読売新聞オンライン2005年4月11日Wayback Machine版
  3. ^ World Standings for Figure Skating and Ice Dancing
  4. ^ オリンピック憲章
  5. ^ 韓国女子シングルのトリノ五輪参加枠は当初ゼロであったが、トリノ五輪予選会であった2005カール・シェーファーメモリアルに参加し上位の成績を残せば参加枠を1つ獲得することができた。このようなケースでトリノ五輪の参加枠を獲得し出場したのは、北朝鮮のキム・ヨンスク、グルジアのエレーネ・ゲデバニシビリ、ルクセンブルクのフルール・マクスウェルなどがいる。
  6. ^ オリンピック質問箱
  7. ^ 世界プロフィギュア選手権などが該当
  8. ^ 2007-2008シーズンより実施されている現在のラインキングポイントは、順位に応じ90%づつ減少させる方式である。例えば五輪や世界選手権の優勝者は1200ポイント、2位はその90%の1080ポイント、3位はさらに90%の972ポイント、以下続く。なお、小数点以下は四捨五入される。
  9. ^ 女子シングル世界ランキング2005年4月3日Wayback Machine版
  10. ^ab 2005年 年間高世帯視聴率番組30(関東地区)
  11. ^ab 2005年12月20日朝日新聞社説「浅田真央さんトリノで見たい」Wayback Machine版
  12. ^ 2005年12月17日スポーツニッポン「真央首位!優勝で特例五輪出場も」Wayback Machine版
  13. ^ 2005年11月20日スポーツニッポン「特例で五輪出場の可能性は否定」
  14. ^ab 週刊現代2006年2月25日号 渡部絵美「3人娘はメダルを獲れない」
  15. ^ 愛するスケートに何が起こったのか?【女子フィギュア・トリノ選考の真実】
  16. ^ 浅田真央をトリノに出してあげたいひとたちのまとめサイト (魚拓版
  17. ^ フトコロえぐらせてもらいます (魚拓版
  18. ^ 週刊現代2006年6月17日号 渡部絵美「私がスケート連盟会長になる」
  19. ^ 2009/2010 フィギュアスケート国際競技会派遣選手 選考基準


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